花で表現をするということ。。。
今日は、少し毛色の違う花をしようと思います。
先日、某流派の副家元と少し「いけばな」のことについてというよりも「植物」を触ることについて話しをしておりました。
副家元が何十年も前に初代家元の本を紐解いておりましたら、次のような意味の文章があったそうです。
「生けるために花を切るということは乳飲み子を母親から引き離すようなことなんですよ」と。(口頭でお聞きしたので原文ではありません)
それほど、責任の重たいことをしているんだとそのとき思われたそうです。ですが、忙しかったり時間が経過するうちに心のどこかでそれを思っていても、その比重はだんだん小さくなっていくものなんですね、人っていうのは。いけませんね。
そういうお話を2人で1時間ほどしておりました。実はこの話しは、7年ぐらい前にも副家元にお聞きし、いつもそのことを心の片隅においていますが、いざ花を触るときにいったいどれほど、そのことを気に留めて接しているのかと改めて考えました。
私たちはその命とどれだけ対等に接して、対話しているのかしっかりと考えなければいけません。相手に対して傲慢になっていませんか?